Angelique
ルヴァ様が読書家なのは、一緒の時間を過ごすようになってから知った。
執務室にある膨大な数の本を見てもそれはよくわかる。
ただ、私と一緒にいる時間は本を読まない。
どうしてなんだろうと不思議に思って尋ねてみると、
少し困ったようなはにかんだ笑顔でこう答える。
「あ〜本にのめり込んでしまうんですよね〜。
読み出すとなかなか中断することができません。
それに・・・照れてしまいますが、あなたと一緒にいる時間の方が大切ですしね」
との返事。
考えてみれば、ルヴァ様が本を人前で読んでいるのを、見たことがない。
私じゃなくっても人と接している時には読まないようにしているみたい。
だから、あの時にはとっても驚いた。
私がレイチェルに『おもしろいから!』と押し付けられた本を持ったまま
ルヴァ様の執務室にお邪魔した時にルヴァ様が『ちょっと見せてもらえますか?』
と言って開いた時。
「ルヴァ様、そのお話、読んだことがあるんですか?」
ルヴァ様は『ええ』と、微笑んで頷いた。
「アンジェリークの大好きな本でしてね〜」
目を細め、心底嬉しそうな顔で、今は女王になっている陛下のことを話すルヴァ様。
その本の題名は、『蒼のペガサス』だった。
「蒼のペガサス・・・かぁ・・・」
アンジェリークはひとつ軽いため息をつき、そして机の隅に置いてある本をめくる。
何とも言えないこの胸のもやもや。
その原因はアンジェリーク自身がよく知っていた。
アンジェリークの知らないルヴァの一面。
女王陛下への想いを胸に大事にしまいこんでいるルヴァ。
その女王陛下のことを話すルヴァのとても嬉しそうな顔を見るたびに、
アンジェリークが決して越えられない壁があるようで、見ていることも辛い。
どんなに手を伸ばしても届かない、ルヴァ様と女王陛下の心の距離。
二人がどんな時間を過ごしてきたのか、何一つ知らない。
知りたいようで知りたくない。
知ってしまうのがとても怖い。
こんなもどかしいような気持ちのやり場はアンジェリークにはなかった。
・・・一体、どんな時間を過ごしていたのだろう。
女王候補に選ばれ飛空都市へと来た金の髪を持つ、自分と同じ名前の女性。
明るく誰にも好かれていたと聞いた。
そしてルヴァと女王陛下が特に親しかったということも。
だが、金の髪の女王候補はルヴァと一緒になることもなく、女王になることを選んだ。
───私なら・・・
ルヴァからはっきりした言葉をもらったわけでもない。
ただ、一緒に時間を過ごすことをそれほど嫌がっていないルヴァ。
執務室に行けば喜んでくれ、日の曜日にはほとんど一緒に過ごしている。
アンジェリークの気持ちはただ一つ。
ルヴァと同じ時間を生きていきたい。
その関係は何の保証もない、あやふやなものかもしれない。
そしてあの二人の関係に、嫉妬にも似た羨ましさを覚える自分。
「・・・今日は、陛下とご一緒されるっておっしゃっていたけれど・・・」
部屋にいることもできなくって公園をあてどもなくウロウロしている。
ルヴァ様は、陛下のことを時折『アンジェリーク』と自然に呼ぶ。
自分のことを呼ばれている時でさえ女王陛下のことを意識しているのではないか、
とそんな些細なことが気にかかった。
───もし私がいなくなったら・・・私が女王になったら・・・
ふと空を見上げる。
───新しい女王候補が来て、また同じ名前だったら・・・
ルヴァ様は同じように新しい女王候補に重ねて私を意識してその名前を呼んでくださいますか?
見上げた空には一番星が輝き始めていた。
ルヴァの私邸の明かりはついていたが、彼の私室の明かりは消えていた。
───まだ・・・お帰りになっていらっしゃらないのかしら・・・
それとも、もうう眠ってしまったのだろうか。
だが、眠る時間には早すぎるような気がした。
明かりのついていない窓を見ながら、また胸が締めつけられる。
そのまま部屋に戻ることができず、思わず来てしまったけれど、何のためにここへ来たかは
アンジェリーク自身も良く分からなかった。
ルヴァの顔が見たかったのか、そしてその優しい声で自分の名前を呼んでほしかったのか。
───会いたい。
それだけ。
そして期待していた。
何かを、期待していた。
「・・・あ〜アンジェリーク?」
突然聞こえた声に、アンジェリークは思わずビクッと肩を上げた。
声のした方を向くと、そこには会いたかった本人が立っていた。
「どうしたんですか〜?」
ルヴァは少し急ぎ足でアンジェリークの目の前まで来ると、優しい笑顔で笑う。
いつもと同じ、アンジェリークの知っている穏やかな笑顔。
その笑顔にアンジェリークの瞳から涙がこぼれた。
思わず流れてしまった涙に驚いて口元をおさえてしまったアンジェリークよりも、
ルヴァはずっと驚いた顔を見せた。
「ああ〜・・・アンジェリーク?」
慌てたようにルヴァがアンジェリークの顔を覗き込む。
ルヴァの自分だけに注がれる視線に身動きが取れなくなって、顔が赤くなっていくのがわかった。
そのことを意識してアンジェリークの顔が熱くなる。
「ど、どうしたんですか〜? アンジェリーク?」
アンジェリークはどう答えて言いのか分からなくて、小さい声で『ごめんなさい』とだけ呟いた。
その呟きは、殆ど声にならなくて、ルヴァには聞こえなかったかもしれない。
ルヴァ再度『アンジェリーク?』と、もう一度名前を呼んだ。
そしてルヴァの手が、口を押さえていたアンジェリークの両手をゆっくりと包み込んだ。
少し強引な、それでいて優しい力。
「・・・アンジェリーク?」
囁く様なその声に、何かがせき切れた様に、涙があふれてくる。
涙を拭おうとするアンジェリークの手を、そのまま自分の方へと引き寄せるルヴァ。
左手でそっと涙をすくわれて、軽く目を伏せる。
そんなルヴァの動作に、アンジェリークはつい口を開いた。
「・・・ルヴァ・・・様。
───もし私が・・・いなくなったら・・・」
「・・・え?」
「いなくなって・・・また新しい女王候補が見つかって・・・
───それで、また『アンジェリーク』って名前だったら・・・
その女王・・・候補に・・・私の面影を重ねてその名前を呼んで・・・」
私、何を言ってるんだろう、そう思いつつも、止められない自分がいる。
「アンジェリーク? 面影・・・って・・・」
ルヴァの言葉にアンジェリークが頷く。
それを見てルヴァが、困ったような小さなため息をついたのが分かった。
呆れられたかもしれない、そう思うとルヴァの反応が怖かった。
だが、ルヴァが次の瞬間、アンジェリークに向けたものは悲しそうな顔だった。
「あなたがいなくなってしまったら───
私はあなたをどこへ追いかければいいんでしょうか?」
「え・・・」
予想外の言葉に、アンジェリークはきょとんとして、ルヴァを見た。
「あなたに辛い思いをさせてしまっているようですね・・・
私はどうも・・・その・・・女性のことについてはオスカーのようにはいきません。
ですが、その・・・あなたが私の前からいなくなってしまったら・・・私は・・・」
いったんそこで言葉を切って、ルヴァは続けた。
「陛下のことは何でもありませんよ。
私は、彼女ととても良い関係を築けた、いえ築けていると思っています。
あなたとは・・・それ以上にその───」
「・・・ルヴァ様・・・」
「ですから・・・どこへも行ってほしくありません。
できることなら同じ時間をあなたと一緒に過ごしていきたいと思っています」
「・・・ルヴァ・・様・・・」
こみ上げる胸の詰まるような想いに、アンジェリークはルヴァの名前を呟くことしか出来なかった。
ルヴァの両腕が、アンジェリークの身体を包み込む。
「あなたが女王候補でなく、そして私が守護聖でなかったら───
そんな想いが私に足踏みをさせて・・・
───アンジェリーク、あなたがそこまで思いつめてしまったのは私の責任ですね」
「・・・そんなこと・・・」
「いいえ、私がはっきりとあなたに言葉を伝えないのが悪いんですよ。
でも今なら・・・はっきり言えます。
アンジェリーク、私と一緒にいてくれますか?
私の大事な、一番大事な人として──────」
何よりも欲しかったルヴァの言葉。
「ルヴァ様───」
星が瞬く下で、二人の影が重なった。
「アンジェリーク、今日は天気が良いので釣りにでも行きませんか〜?」
「はぁい! 今おいしいお弁当を作りますね!」
栗色の髪の元女王候補がそれに答え、とびっきりの笑顔を夫に向ける。
もう何の不安も心配も彼女の心にはない。
あるのはただ一つ。
愛しいルヴァへのあふれんばかりの気持ちだけ───
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