満月の鈴
昔、金糸雀(カナリア)屋さんという、カナリアを売っている人がいました。
カナリア屋さんの名前はエルンスト。
空が鮮やかに夕焼けに染まる時分の京の町でのことでした。
研究熱心で、カナリアについて一生懸命勉強し、良い鳴き声やきれいなカナリアを売ると評判でした。
暑い夏の空気を冷やすため打ち水をした乾いた細い道の両脇に、格子戸が立ち並ぶ静かな通りを
エルンストがゆっくりと歩いていました。
一ヶ月に一度この通りを訪れるエルンストはいつもの場所に籠を置きました。
わらわらと子供たちが集まってきます。
その中にいつもカナリアを見に来ている少女がいました。
栗色のおかっぱ頭に、大きな瞳。
瞳はキラキラと輝いています。
そのうちに大人達も集まり、カナリアはどんどん売れて行きました。
あと五羽を残し、辺りは暗くなってきました。
付近の家からはおいしそうな夕ご飯の匂いが漂っています。
「私はそろそろ帰らねばなりません」
少女はカナリアの動きを見ながらこくんと頷き、元気良く走って行きました。
空にはまんまるいお月様がぽっかりと浮いています。
いつもいつも来てくれる少女に親近感を覚えていたエルンストは、少し寂しいような気持ちで
後片付けをして家へと戻りました。
それから一ヵ月後。
またいつもと同じ場所にエルンストはカナリアの入った籠を置きました。
今日のカナリアは新種で、いつもよりも早いスピードで売れて行きました。
カナリアの飼い方などを教えながら、エルンストはあの少女を探しましたが、少女の姿は見当たりません。
(新しいカナリアを見せたかったのですが・・・)
エルンストはそう思いながらも、カナリアを買いにくるお客さんの相手をしていました。
やがて辺りが暗くなり、お客さんも来なくなりました。
売れ残った二羽のカナリアが入った籠を天秤棒の両端に、それぞれ一つずつ乗せたエルンストは、
細い道をゆっくりと、家に向かって静かに歩いていました。
ちりん。ちりん。
ふと後ろから聞こえてくる鈴の音に気づき、エルンストは後ろを振り返りました。
そこには浴衣姿のあの少女が一人、エルンストの後について歩いていたのでした。
少女が歩くたびに、その細い足首の片足だけについている紐の先の金の鈴が、ちりん、ちりんと涼しげな
音を立てています。
エルンストは立ち止まり、少女に聞きました。
「・・・カナリアが欲しいのでしょうか?」
少女は、恥ずかしそうに小さくうなずきました。
エルンストは持っていた天秤棒を地面に置くと、もじもじしている少女に尋ねました。
「今日は新しいカナリアを持って来たのです。
二羽しか残っていないのであなたに差し上げます」
少女は大きく目を見開いてから、嬉しそうに微笑み、浴衣の懐に小さな手を入れて、中から小さな
はまぐりの貝殻を一枚出しました。
エルンストは思わず笑って言いました。
「それにはカナリアを入れるのは無理ですね。
その貝殻では───」
カナリアが逃げてしまいますよ、と言おうとしてエルンストは、思わず息を呑みました。
まんまるお月様の優しい光に照らされて、少女の後ろには長い影が伸びていたのですが、
その影には長くて細い尾と、三角の耳が付いていたからです。
少女の正体に気づいたエルンストは、どうしたものだろうと迷いましたが、ふと思い付いて言いました。
「私について来て下さい。
この近くにちょうど良い入れ物がありますから」
少女は素直にエルンストについて来ました。
そして少女を連れて、エルンストはすぐ近くにあった神社へと入りました。
神社の手水舎の所までやってきたエルンストは、軒に下がっていた小さな籠を手に取りました。
この小さな籠は、以前、カナリアを買った子供が泣きながらここでカナリアを逃がしてしまったと
エルンストのところに来たので、新しいカナリアを渡し、逃げたカナリアが戻ってくるかもしれないと
エルンストが下げていたものでした。
残念ながら逃げたカナリアは戻ってきてはいませんでした。
その子供は、新しいカナリアに夢中で、もう籠は必要ないだろうとエルンストはそう判断したのでした。
その籠に売れ残った二羽のカナリアを移して少女に手渡しました。
少女は楽しそうにカナリアの動きを見ています。
「───私はエルンストと言います。
あなたのお名前を教えていただけませんか?」
少女は答えるかわりに、自分の足首にまいてある赤い紐を指さしました。
月明かりでしたが、そこには『アンジェリーク』と書いてあるのがはっきりと見えました。
「アンジェリークと言うのですね、良い名ですね」
エルンストの優しそうな顔に、少女は微笑みました。
「・・・貴女は、この近くに住んでいるのですか?」
再び、エルンストは少女に尋ねました。
しかし、少女は寂しそうに首を横に振るだけです。
「でしたらここから遠い所に住んでいるのですか?」
再び少女は首を横に振りました。
「───質問ばかりで申し訳ありませんが・・・帰るところはあるのでしょうか?」
もう、少女は首を振りませんでした。
悲しそうな瞳で、じっとエルンストを見ています。
その瞳を見て、エルンストは胸が締めつけられました。
しばしの沈黙の後、エルンストはとても優しい声で少女に話しかけました。
「もし、貴女さえよろしければ、私の家に来ませんか?
私の家にはたくさんの種類のカナリアがいます。
貴女───アンジェリークがいたずらをしなければ、カナリアは良い声で鳴いて、私達の心を
楽しませてくれますよ」
少女の顔がぱあっと明るくなりました。
それは、まるで花が咲いたような、そんな笑顔でした。
「では、行きましょう。
暗いので足元に気をつけて、その籠を落とさないようにしてください」
元気良く少女が頷くのを見て、エルンストは天秤棒を担ぎ、歩き出しました。
満月の月明かりの中、ちりん、ちりんと鈴の音が響いていました。
「良いですかアンジェリーク、カナリアを驚かせてはいけませんよ。
おとなしくしていてください」
「にゃぅ」
返事をする仔猫の首には赤い紐がまかれ、その先には金の鈴がついていました。
エルンストがカナリアの世話をしている間、言われたとおり大人しくカナリアを見ている仔猫がいました。
───そして、まんまるお月様がのぼる日には、あの通りのいつもの場所には、エルンストの隣で
楽しそうにカナリアを見ている少女の姿をしたアンジェリークの姿があったということです。
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