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想ケ淵 1



ここ想ケ淵はとある寺の奥にあり、デートスポットとして有名な場所である。
今日はその寺の大掃除の日。
住職のチャーリーが、寺の小僧であるランディとゼフェルに掃除の道具を渡していた。
「ほら、早よせないつまでたっても終わらんやろ〜」
「あ、すいません!」
素直に謝るランディ。
「んだよ! 大掃除ぐれぇ、やらなくっても死にゃあしねーだろ!」
常に反抗的なゼフェル。
「あかん! ちゃんと掃除せな!
 ほら、さっさと鷺ノ淵に行って、雑草抜いたりしてこなあかんやろ!」
「鷺ノ淵?!」
ランディとゼフェルは驚いた顔をしてチャーリー住職を見た。
「ああ、ちゃうちゃう、ちゃうわ。
 今は想ケ淵っちゅー方がわかりやすいんやったな・・・」
「なんだぁ? あれってそんな名前だったのか?」
「ん? まぁな、昔の話や。
 ほら、油売ってんと、早よ掃除しに行き! 
 終わったら何かおいしいもん用意しとくから」
しぶしぶ掃除道具を持って想ケ淵の掃除に行くランディとゼフェル。
静かに水をたたえている淵に行くと、言いつけ通りに雑草を抜き始めた。
「・・・なぁ、この想ケ淵の由来ってテメー知ってっか?」
「いやぁ・・・
 ただ、この淵の水面に顔を映すと、現在自分の想ってる人の顔が映るってことしか・・・」
「ケッ、バーカ!」
「なんだとぉ! ゼフェル! 謝れ!」
元気な少年達は、飽きもせずに喧嘩を始めた。

一方チャーリー住職は、蔵にある掛け軸や巻物を天日干ししていた。
その中でも大事に桐の箱にしまわれていた巻物数本。
箱を開けると、そこには寺にある想ケ淵にまつわる物語が記されている。
「あの二人にはまぁ関係ない話やけどな・・・
 ホンマ言うたら、想ケ淵ってな、悲しい話なんや。
 別名鷺ノ淵って呼ばれてたってな───
 今でこそ有名なデートスポットになってるけどな・・・」
チャーリー住職はそう呟きながら巻物を広げた。
初夏の風が巻物の上を吹きぬけた。

 
平安の京の都に風が渡る。
魑魅魍魎が闊歩していたこの地。
この地に、アンジェリークという琴の名手として名高い娘がいた。
アンジェリークは父親である左大臣ジュリアスと母親のエルンストの一人娘で、明るく、
清らかで美しいと評判の娘であった。
「アンジェリーク様、今日も文がたくさん届いておりますが・・・」
アンジェリークの部屋に入って来たのは、アンジェリーク付の女官マルセルである。
顔の高さまで積み上げられた文を落とさないよう、ゆっくりと歩いている。
「ありがとう、マルセル」
アンジェリークはマルセルの労をねぎらい、積み上げられた文から一通の文を手に取った。
愛しい人からの文は決まっていつも淡い山吹色の和紙である。
淡い山吹色の和紙に綴られたアンジェリークへの想い。
大きな男らしい文字。
その愛しい人からの文を何度も読み返し、返事を返すべく机に向かうアンジェリーク。
やがて静かに筆を置き、マルセルにその文を託すアンジェリーク。
「・・・お願いします、マルセル」
「はい! アンジェリーク様!
 ちゃんとヴィクトール様にお渡しして来ます!」
女官の仕事は貴族の姫君の身の回りの世話をするだけでなく、外出ができない姫君に代わって
恋の橋渡しをするのも大切な役目であった。
アンジェリークから託された文を懐に忍ばせ、マルセルはお辞儀をしてアンジェリークの部屋から出て行った。
そのマルセルを見送ってアンジェリークはヴィクトールからの文を何度も読み返していた。
ヴィクトールはジュリアスの家に仕える近衛少将で、以前からヴィクトールの名前をアンジェリークは
父親のジュリアスから聞いていた。
頑固な面を持っているが、仕事熱心で信用できる男だと。
実際に互いの姿を見たのは、この春にジュリアスが大きな庭で園遊会を催した時のことだった。
表向きは、右大臣クラヴィスを始め他の貴族達との親睦を深めようというもの。
実際にはアンジェリークが婚姻の適齢期ということもあり、その相手を探すのが目的であった。
桜吹雪が舞い散る中、御簾から流れるアンジェリークの琴の音に聞き惚れる貴族達。
その中にヴィクトールもいた。
いたずら風が御簾を弄び、ほんの一瞬であったが、美しいアンジェリークの姿を見たヴィクトールは
一目で恋に落ちた。
一方のアンジェリークは、琴の演奏の後の剣舞で凛々しく舞うヴィクトールを見て、やはり恋に落ちた。
その夜、ヴィクトールからの文が届き、二人はこうして互いの想いを文で交わすようになったのである。
無論、アンジェリークとヴィクトールが互いに想いを寄せていることは父親のジュリアスも
母親のエルンストも知っていた。
嫡子がおらず、女の子が一人であるジュリアスの家は婿養子として姫君の夫を迎えなければならない。
アンジェリークのもとには連日たくさんの恋文が届いている。
だが、アンジェリークが文を交わしているのはヴィクトールのみ。
確かに身分的には少し釣りあわないかもしれないが、ヴィクトールは長くジュリアスの家に仕えてきた
男である。
人柄も何も文句はない。
この時代は通い婚であり、男性が三日間妻にしたい女性のもとに通えば婚姻成立となる。
そろそろヴィクトールを婿に迎え入れるよう、話をしよう。
そうジュリアスが考えていた矢先のことであった。
帝のオスカーに呼ばれ、宮中にあがったジュリアスに、とんでもない話が待っていた。
帝の兄にあたる青年と、ジュリアスの家の姫君であるアンジェリークと結婚させてほしい、
との話であった。
青年の名前はルヴァ。
ルヴァは学問に秀でていて、先代の帝と中宮の間に出来た男性で、当初は帝の第一継承者と
なっていたのだが、どういうわけか、側室であるオリヴィエとの間にできたオスカーが帝として
治世することになっていた。
いつの時代にも御家騒動があり、帝の継承権などは二転三転するものである。
ジュリアス自身も何度もルヴァと会い、話をしているが、物静かで、いつも笑みを浮かべている
大人しい男性だ、との印象を持っている。
少しおっとりしすぎではないか、と思わなくもないが、それは育ちの良さ故のことであり、
別に短所にあたるわけでもない。
オスカーが言うには、先日、ジュリアスの家で園遊会が催された時に評判になったアンジェリークとの
婚姻をルヴァが望んでいるとのこと。
帝オスカーに忠誠を誓うジュリアスのことである、嫌とは言えずそれを了承せざるをえなかった。
牛車に揺られ、ジュリアスは考えていた。
いくら話とはいえ、ほぼ命令と同じ。
そしてその帝オスカーの命令には絶対服従。
この時代の結婚は政治的な意味合いも強く、アンジェリークが帝の兄であるルヴァと結婚すれば
ジュリアスの家は安泰。
だが、アンジェリークの心には───
思い悩むジュリアスは苦渋の決断を強いられていた。

屋敷に戻ったジュリアスはアンジェリークの部屋を訪れた。
そして今日、帝から受けた命令をアンジェリークに聞かせた。
「アンジェリーク・・・」
辛そうな父親のジュリアス。
わがままを許してくださるならしばらく考えさせてください、とだけ答え、アンジェリークは
そのまま沈黙し、ジュリアスはゆっくりと部屋を出て行った。
帝の命令には従わなければならないのであろう父親の心労はアンジェリークにもよくわかっていた。
だが、自分は───
自分の気持ちは・・・
いつしかアンジェリークはヴィクトールにもらった文を全て読み返していた。
アンジェリークへの気持ちが切々と綴られている文。
それらを何度も何度もアンジェリークは読み返していた。

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