贖罪 1
アンジェリーク、俺はお前を愛している。
他に何もいらない、何も見えない、何も見ることができない。
───決して俺の腕の中では微笑まない天使。
アンジェリーク───
右手で剣を握り締める。
・・・滴り落ちる雫、崩れ落ちる細く小さな影。
「・・・また、あの夢か」
軽いため息をついて、身体を起こす。
じっとりと体中にかいた汗。
何度も何度も繰り返し見る夢。
窓の外では、小鳥が楽しそうにさえずり、朝の到来を告げていた。
「・・・・・・」
無言のまま浴室へ向かい、勢いよく吹き出る熱い湯にしばし身を任せる。
「アンジェリーク・・・」
今でもあの時の光景が目に浮かぶ。
「ごめんなさい、私、リュミエール様のことが・・・好きなんです」
すまなそうに大きな瞳を曇らせて謝る金の髪の女王候補。
「・・・そうか、わかった。
リュミエールにフラれたら、すぐ俺のところに来るんだぜ?」
内心を悟られないように、出た偽りの言葉。
アンジェリークはそれには答えず無言のまま姿を消した。
もう何もかもがどうでも良かった。
ただ、自分の中に積もるいらだちを解消できれば───
そして、オスカーが標的に選んだのは、もう一人の女王候補のロザリアだった。
アンジェリークの身代わりのように常に自分の側に置き、できうる限り行動を共にした。
だが、それも限界がくる。
いくらロザリアにアンジェリークの代わりを求めても、アンジェリークにはならない。
やがて、オスカーのアンジェリークに対する気持ちは憎悪へと変貌を遂げていた。
同時にロザリアに対してもそうだった。
どれだけ願ってもロザリアはアンジェリークにはならなかったからだ。
勝手だとわかりきってはいた。
だが、自分でもどうしようもない想いだけが積もっていく。
浴室を出て、軽く食事を取り、公園へと向かう。
途中、自分に声をかけてきた女性を伴い、公園に現れたオスカーを待っていたのはロザリアだった。
「・・・よぉ、ロザリア、奇遇だな」
今日はロザリアと公園で待ち合わせをした日。
「おはようございます、オスカー様」
一瞬、ロザリアは驚いたような顔をしたが、オスカーを責めるわけでもなく、礼儀正しく挨拶をし、
何事もなかったようにその場を去った。
これがアンジェリークなら、大きな目に涙をためて抗議をしただろう。
何故、お前はアンジェリークじゃないんだ?
何故、お前はアンジェリークと同じ反応をしない?
ロザリアの姿を苦々しく見送りながらオスカーはそんなことを考えていた。
オスカーが女性を伴って自分の目の前に現れた時の気持ちはどう表現すればいいのだろう。
今日は自分とデートの約束があったはず。
それもオスカーの方から、今日はロザリアの誕生日だから、と日時を指定してきたのだ。
忘れていたのだろうか、それともわざとなのか。
歩いて行くうちに涙があふれてくる。
最近のオスカーは特に様子がおかしかった。
私邸に遊びに行く約束をし、遊びに行けば冷たく追い返されたことや、逆に、夜中に突然寮に来ては、約束などした覚えのないことで
「何故今日来なかった」となじられたこともあった。
他にも、「俺はそんな長い髪の女性は好きじゃない」と言って、髪の毛を切られそうになったことも。
そして、ロザリアの心の中で、忘れられない、信じられない出来事。
───オスカーに手を上げられたこと。
それもつい最近のことだった。
たび重なるオスカーの態度に、ロザリアがオスカーと距離を置こうとしばらくオスカーに会わないようにしていた時期があった。
数日後、オスカーの私邸から使いが来て、オスカーが会いたがっているから是非来て欲しいと言われ、一瞬迷った後、
ロザリアは使いの馬車に乗った。
やがて、私邸に到着したロザリアをオスカーは優しく迎えた。
何年間も会ってなかった恋人にやっと会えた、というようにロザリアを抱きしめ、額に熱いキスを贈るオスカー。
「実は、急に惑星の探査を命じられてな・・・・」
特別に通達がなかったこと、オスカーを避けていた時期だったことからロザリアはオスカーが飛空都市にいなかったことすら
知らなかった。
「・・・・・・」
「───これを、ロザリアに」
そういって、オスカーはロザリアの首に綺麗な石がついたペンダントをそっとかけた。
キラキラと光る紅色の石の周りには金で細かく彫刻がほどこされた飾りがついている。
・・・これを、私に?
驚きと嬉しさのあまり、ロザリアは言葉を失った。
オスカーに何とお礼を言えばいいのだろう。
どのように表現すれば、オスカーに自分の嬉しさが伝わるのだろう。
そんなことを考えていたロザリアに、いきなりオスカーが手を上げた。
バシッと音がして、ロザリアの頬が赤くなる。
「俺からの贈り物がそんなに気に入らないのか」
「・・・・・オ・・スカー・・・様」
オスカーの態度のあまりの豹変ぶりに、ロザリアは頭が真っ白になった。
「気に入らないなら気に入らないとはっきり言えばいいだろう。
それとも何か? 俺に気を使って、気に入らないが礼でも言っておこうとでも考えてい たのか?」
「ち、違いますわ」
「ロザリア」
唇に酷薄そうな笑みを浮かべ、オスカーは乱暴にロザリアの首からペンダントを引きちぎった。
ペンダントの鎖が切れ、ペンダントヘッドが床に転がる。
「ひどい・・・ですわ、オスカー様」
蚊の鳴くような声のロザリアに、オスカーは再び手を上げた。
「なら、なぜお前は嬉しそうな顔をしない?
嬉しいなら嬉しいと伝えない?
───あいつなら・・・」
オスカーの言葉はもはやロザリアには届いていなかった。
ただ茫然と転がったペンダントヘッドを見ているだけだった。
「・・・帰れ、ロザリア」
オスカーはロザリアの腕を強引に引っ張って、ドアの外へ押し出した。
閉じられたドアは再び開くことなく、ロザリアはオスカーの私邸を辞することにした。
帰りの馬車に揺られながら、ロザリアは少し腫れている頬に手を当てて泣いた。
自分が悪かったのだ、と。
あれこれ考えずに、自分の素直な気持ちをオスカーに伝えていればオスカーが怒ることはなかったのだ、と。
公園からかなり離れた小高い丘で、風に吹かれながらロザリアは目前の光景をただ眺めていた。
眼下に見える風景は、穏やかでのんびりとしたもので、ロザリアの気分も幾分か落ち着いてきた。
今日のことも、何かの間違いかも知れない。
オスカーはおそらく忘れていたのだろう。
そう思いたかった。
いや、そう思わずにはいられなかった。
そうしなければ、自分の存在が否定されそうで恐かった。
───もう、何も考えたくない。
ロザリアは膝を抱えて丸く座り、風を身体に受けながら、ただじっと座っていた。